終戦の日の今日は,先日訪問した「鹿屋航空基地史料館」について紹介したいと思います.
投資とは関係ない?と思われるかもしれませんが,過去の自分投資活動を振り返ってみると,命までは賭けていないものの,第二次世界大戦末期の日本軍の心理に近い状況を経験しています.
同じ過ちを繰り返さないためにも,記録として残しておこうと思います.
鹿屋基地
鹿屋(かのや)基地は,鹿児島県の南東部,大隈半島の中央部に位置します.
鹿屋基地は,第二次世界大戦時に行われた「特攻隊」の拠点の一つで,悲惨な歴史を後世に伝えるために「鹿屋航空基地史料館」を併設しています.
史料館は,
鹿児島県鹿屋市西原3丁目11番2号 | |
0994-42-0233(FAX兼用) | |
12月29日~1月3日を除く毎日 | |
午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで) | |
となっています.
史料館の周りには,現役を引退したヘリコプターや航空機の展示があります.
史料館の中に入ると,右手奥にシアターがあり,数分間の説明映像を見ます.
その後2階フロアにあがると,海軍の歴史,海軍航空隊の発展の歴史などが多くの遺品とともに展示されています.
順路に従って進んでいくと,零戦:零式艦上戦闘機52型が展示されています.ちなみに零戦をゼロ戦と呼んでいますが,日本語では「れいしき」艦上戦闘機であるためレイ戦が正しいのだそうです.
この零戦は,鹿児島県垂水市と,旧加世田市の海岸で引き上げられた機体を元に復元された機体です.
台に上り,コックピットを覗く事ができます.
軽さを重視した作りとはいえ,操縦席に座る隊員を守るための防御が全くなく,多くの操縦士が敵機からの銃撃で命を落としたようです.
兵士は使い捨てと考えていたのでしょうね.戦火が激しくなり,戦闘による消耗が酷くなってくると熟練した操縦士の数も減る.青年達をかり出し短期間で育てようとするが,空中戦を行えるほどには育てることはできない.爆弾を抱えて敵戦艦に体当たりするだけなら・・・.
熟練工は一朝一夕にできるものでも,無限に生まれ続ける者ではなく,大切にしなければならいという教訓ですね.
この零戦が展示されているフロアの入り口左手に,モニターがあります.ここでは零戦が生まれてから特攻隊に用いられる歴史を15分程度の映像で紹介しています.
内容は,決して「特攻」を美化,正当化するものではなく,敵の戦力を見誤り,無謀な攻撃のために多くの若者の命を奪った事実を淡々と語っており,いくつもの教訓を与えてくれる内容です.
混み合っているとなかなかじっくり見ていられないかもしれませんが,是非とも見て頂きたい映像です(少ないですが長椅子も用意されています).
さらに順路を進めると,特攻隊員たちの名前や写真,遺品などが展示されているフロアにたどり着きます.
その数に圧倒されるばかりでなく,特攻隊員達が最後に家族へ送った手紙も展示されており,内容を読むとこみ上げてくるものを抑えることはできません.
時として,この手紙の内容を基に,お国のため,家族を守るために特攻隊員達は自ら進んで命を捧げたと美談で語られることがありますが,手紙自体に軍の検閲が入っていた事実を鑑みると,皆が進んで,本望として志願していたのか?
「ベンチがアホやから野球がでけへん」と辞められれば良かったのですが,当時16-20歳の青年達が特攻を拒否できたのか? 嫌とは言わせない状況に追い込んでいたのではないか?
愚かな作戦を立案,指揮したもの達の責任は?
もし特攻という愚策,玉砕という名のもとで行われた集団自決がなければ,我が日本はもっと発展した国になっていたかもしれません.
しっかりと検証され,後生に語り継がれて行かなければならないと思いました.
その後,一階へおり,現在の海上自衛隊の活動やP-2哨戒機の展示などをみて,終了します.
鹿屋航空基地史料館の他にも,同じ鹿児島県内には知覧特攻平和会館もあります.
今回は訪問しませんでしたが,鹿児島市からは知覧の方が近く,砂風呂で有名な指宿温泉への道中にありますので,いかがでしょうか?
投資活動との関連
今,トルコリラがとんでもないことになっています.
幸い,FXや先物等の投機とも呼ばれる商品とは距離を置いているので,対岸の火事として野次馬していますが,かつては主戦場としていた時期もありました.
負けが込んでくると,少額ずつ軍資金を逐次投入し,はじめに決めていたロスカットラインを無視し,売り買いの両建てを行い損失を拡大していきます.
さらに負けが込んでくると,逆転するためにレバレッジを高く(証拠金を少なく)して口数を増やして応戦しますが.追い詰められて冷静さを失う.何の根拠もルールも持たない作戦が奏功することはありません.
余力(証拠金)がすくないためすぐにロスカットされます.そんなことを繰り返します.
最終的には,よくて軍資金が底をつき退場,最悪,追い証がかかって貯金や生活費で補填しなければならない.
そんな経験をしました.
正しく第二次世界大戦末期に追い込まれた日本軍がとった行動,心理状態に似ていると思います.
唯一違うのは,
命取られたわけではないから・・・.
自分を慰めていましたね.
しっかりと計画し,ルールを決め,負けを最小限にし,決して全滅しない.
大事なことです.
トルコリラで焼けているFX戦士達よ,生きて帰ってこい!!
鹿屋でご飯
鹿屋市で昼食を摂ったのですが,そのときに訪れたのが,
とんかつ竹亭鹿屋本店
美味しいです.食レポは無理ですので,これしかいえませんが,美味しいです.
自宅の近くに支店を出して欲しい!! と思える店です.
https://tabelog.com/kagoshima/A4604/A460401/46001037/
鹿児島から鹿屋市まで
レンタカーを利用しました.
全て陸路で往復することも可能ですが,せっかくなので鴨池・垂水フェリーを片道利用しました.
雄大な桜島を見ながら,名物のうどんを食べるのも雰囲気があって良かったですよ.
まとめ
特攻隊に対して,皆さんそれぞれ思いや考え方があると思います.
4,000人もの青年達の命を奪った「特攻」という愚策を実行した事に関しては検証と反省が必要です.
投資活動でも同様の心理状況に追い込まれることがあるので,戒めなければならないと思いました.
鹿屋基地を訪問しようと思ったきっかけの本です.